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鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、日本のプロサッカー選手。静岡市清水区出身。Jリーグディビジョン1の浦和レッドダイヤモンズ所属。ポジションはMF。夫人はファッションモデルの畑野ひろ子。同じくサッカー選手の水野晃樹は従弟[1]。Jリーグ選手協会副会長。
目次 [非表示] 1 評価・プレースタイル 2 来歴 3 所属クラブ 4 個人成績 5 経歴 6 個人タイトル 7 代表歴 7.1 出場大会など 7.2 試合数 8 出版 8.1 執筆書籍 9 脚注 10 外部リンク 評価・プレースタイル [編集] 豊富な運動量を誇り、中盤の底で献身的に走り回り相手の攻撃の芽を摘み取るハードワーカー。味方選手が攻撃などで前線に上がってしまったときに出来てしまうスペースを埋める動き(カバーリング)を得意としている。しばしば「守備専」のボランチなどと評されているが、オーバーラップを駆使した攻め上がりを時折試みるなど攻撃面での意識のシフトも見られるようになっている。攻撃と守備のバランスを調整するバランサーとして活躍する。一番の武器は「戦術眼(危険察知能力)」。その反面、パスやシュートの精度は高くないが、最近は攻撃の起点になることもしばしばある。その守備力でイビチャ・オシムから「日本のマケレレ」と最大級の賞賛を得た。 パスやシュートの精度が低いので浦和のファンは鈴木がオーバーラップすると「やめとけ」「うつな」など愛情のある野次を飛ばす。 来歴 [編集] 小学生時代は清水FCに所属し、1993年の第17回全日本少年サッカー大会で準優勝を経験。また、中学時代は東海大一中(現在の東海大学付属翔洋中学校)の一員として全国中学校サッカー大会優勝の原動力となった。 東海大翔洋高校卒業後、2000年に浦和レッドダイヤモンズに加入し、天皇杯でプロ初出場。翌年のヴィッセル神戸戦でリーグ戦初出場を果たし、そのままレギュラーに定着。2002年からはアテネオリンピックを目指すU-23日本代表にも招集されるようになり最終予選ではキャプテンも務めるも、監督であった山本昌邦が複数ポジションをこなせるユーティリティプレイヤーを好んで選出したため、本大会には選出されなかった。 2006年、日本代表監督にイビチャ・オシムが就任。A代表に初招集され、同年8月9日のキリンチャレンジカップ、トリニダード・トバゴ戦で初出場を果たし、以後オシムジャパンでは唯一全試合先発出場を続けた。 また、クラブでの活躍により2006年、2007年と2年連続でJリーグ年間ベストイレブンに選出される。2008年にはサッカー担当記者選出の日本年間最優秀選手賞を受賞している。 2008年は前年まで浦和、日本代表で過密日程の中、フル稼働した疲労が溜まった影響か、扁桃炎の発症や度重なる負傷に苛まれ、苦しいシーズンを送る事となった。また、代表でも扁桃炎で離脱している最中に長谷部誠にボランチの定位置を奪われ、病気から復帰した後も本来のプレーを取り戻せない事も相まって2008年6月以降は日本代表に招集をされていない。 2009年は山田暢久に替わり、チームキャプテンに就任。主に阿部勇樹とボランチでコンビを組み、大きな怪我も無くほぼフル稼働し浦和の中盤を支え続けた。また、2009年9月19日Jリーグ第26節、対川崎フロンターレ戦では自身2年振りとなるゴールも記録した。 プライベートでは2008年8月20日、ファッションモデルの畑野ひろ子との結婚と同時に畑野の妊娠が発表され[2]、2009年1月4日に披露宴が執り行われた。 2008年10月下旬に、PRIMA★STELLA RECORDSより、スペイン音楽より本人が選曲したコンピレーションアルバム「TRIP IN SPAIN」が発売された。 PR |
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