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【2024/11/28 11:33 】 |
ネスタの踊り
アレッサンドロ・ネスタ(Alessandro Nesta、1976年3月19日 - )は、イタリア・ローマ出身のサッカー選手。元イタリア代表。ACミラン所属。ポジションはDF。イタリア共和国功労勲章受賞。
目次 [非表示]
1 略歴
1.1 クラブ
1.2 イタリア代表
2 エピソード
3 タイトル
3.1 クラブ
3.2 代表
3.3 個人
4 個人成績
5 脚注
6 外部リンク
略歴 [編集]

クラブ [編集]
1985年にラツィオのユースアカデミーに加わり、17歳でトップチームデビュー。その後10代後半から主力として活躍。20代前半でラツィオのキャプテンを任された。1998年のコッパ・イタリアではACミランとの決勝戦でゴールを奪い、その年のセリエA最優秀若手選手賞に選ばれた。1999-2000シーズンのスクデット獲得の際にも中心選手として貢献した。
2002年、ラツィオの財政難が原因で移籍金3000万ユーロでACミランに移籍。当時ラツィオのシンボルであったネスタの移籍は衝撃的なものであり、ローマではラツィオサポーターが抗議行動を起こすほどのものであった。しかし移籍する際のネスタのコメントとして「移籍するならばそれはラツィオの実りのためだけにだ」という言葉を残す。
移籍初年度、UEFAチャンピオンズリーグ、コッパ・イタリアを獲得した。その後も高いパフォーマンスで活躍を続け、多くのタイトル獲得に貢献しているものの、2006-07シーズンに肩を怪我してしまう。2008-09シーズンにも怪我が再発し、そのシーズンのほとんどを棒に振ってしまった。この怪我で一時は引退を考えたという[1]。
イタリア代表 [編集]
DFとして世界的な名声を得ているネスタであるが、ことワールドカップに関しては才能を遺憾なく発揮しているとは言いがたい。1998年フランスワールドカップではグループリーグのオーストリア戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わる(イタリアはベスト8敗退)。2002年日韓共催ワールドカップでもグループリーグのクロアチア戦にて負傷し、決勝トーナメントは不出場に終わってしまう(イタリアはベスト16敗退)。
捲土重来を期して臨んだ2006年ドイツワールドカップであったが、またもやグループリーグのチェコ戦にて負傷し、決勝トーナメントでの出場は叶うことはなかった。ドイツワールドカップにてイタリア代表は24年ぶり4度目のワールドカップ制覇を成し遂げたが、ネスタ自身は不本意な大会となった。2007年8月1日に代表引退を表明[2]。
エピソード [編集]

同じくローマ出身であり、若くしてライバルクラブであるASローマのキャプテンとなったフランチェスコ・トッティとはライバルであり、よき親友、常に比較されていた。
人格者としても知られ、その実力も相俟ってチームメイトやクラブ関係者からの信頼は厚い。
サッカーもさることながら、学業の成績も優秀であり、サッカー選手になるか弁護士になるかを本気で悩んでいた。
少年時代にASローマからスカウトされた(スカウトマンは元イタリア代表DFフランチェスコ・ロッカ)が、父親が同じローマのラツィオの熱狂的なファンであった事から、これを断ったという逸話が残っている。
かなりのゲーム好きで、左手親指の付け根付近が腱鞘炎になり手術した際、ウイニングイレブンのやりすぎで悪化したと報じられたが、本人は否定している[3]。
2006 FIFAワールドカップでの優勝メンバーの一人であるネスタは、他のメンバー、マルチェロ・リッピ監督と共にイタリア大統領からイタリア共和国功労勲章を送られている。
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【2010/11/10 01:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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